御挨拶

初めまして! たんの と申します。当ブログをご覧いただき本当にありがとうございます!
まず初めに、私は副業でスロットやパチンコを打つ人…いわゆる兼業スロッターです。プロの方から見れば、ごく一般的なスロッターでしかないでしょう。
ですが、そんな私でもひょんな出会いから得た知識や技術を武器にスロットに挑み続け、今では年収にプラス100万円を上乗せすることが出来るようになりました!!!
私がそれを達成できた道のりを簡単にではありますが、ご紹介させていただきます。
初就職からの初リストラ

初めて就職した会社は、とある電子部品製造会社。そこに派遣社員として勤め始めました。朝勤・昼勤・夜勤が一週間毎に切り替わる勤務形態であり、残業は殆どなく、お給料は手取りで15万円ほどでした。
「きちんと勤めていれば正社員になれるよ」と言われており、トラブルを起こすこともなく、人付き合いも悪くならないようにしながら勤めていたある日、とんでもない事件が起きました。
その事件とは・・・【リーマン・ショック】です。
この世界的不況の煽りを受け、生産量が激減し、会社は倒産を防ぐ為に人員削減などによるコスト削減を実施し、私は初のリストラを経験することになりました。
出戻り就職とパチスロとの出会い。そして、第2のリストラ

初のリストラでしたが、「すぐに次の就職先が見つかるだろう」と楽観視しながら探していた時、就職直前までバイトをしていた飲食店の店長さんから食事の誘いを受けました。
気さくな方で就職後も付き合いが続いていました。リストラの話をすると「今、新たに支店を出さないか、という話があって、良ければそこで働いてみないか?」と誘われました。
バイトをしていた時、従業員の方達も親切で、とても楽しく働いていたのですぐにOKの返事をしました。
支店には、長らく従業員として働いていた方を店長にし、私はそこの正社員としてパートの方達をまとめる立場で勤めることになりました。
残業はなく、お給料は手取りで12万円ほどに減りました。当然お給料が減ったので、今まで買えていたもの、遊びに出かけていた場所にも行きづらくなりました。
そんな時に、前の職場の同僚から電話がありました・・・そう、これが「パチスロ」との出会いでした。
パチスロについては何の知識もなく、同僚に手順を教わり、適当に打ち始めました。絵柄を揃えるタイミングは同僚にやってもらい、押し順ナビすら知らなかった私はよくわからないまま打ち続けていました。
そんな私でしたが運よく1万円を超える勝ちを手にすることが出来ました。僅か数時間で1万円を超える収入が手に入る・・・
「パチスロ」というギャンブルの魔力に魅了され、底なし沼にはまり込むのに、時間は必要ありませんでした。
その後は休日になると打ちに出かけるようになりました。データカウンターの見方を調べるぐらいのことしかせず、ハマってる台やボーナスがたくさん出ている台を打つようなことを繰り返していました。もちろん勝てる時もありましたが、殆ど負けていました。
軍資金が少なくなるとクレジットカードのキャッシングローンに手を出し始めました。「勝てば返済できる!」という妄想に取りつかれ、借金は順調に増えていき、100万円ほどになりました。
そんな状況に追い打ちをかけるように、あることが決まりました。
それは・・・【支店を閉店させる】ということでした。
思うように伸びない収益、支店を開店させる際に負った借金の返済、月々の家賃などが原因となり、僅か3年で閉店することになりました。が、私は引き続き本店で働かせてもらえることになり、2回目のリストラを避けられた!…ように思いました。

本店で働くこと1年以上経ったある日、本店がある地域に大雪が降りました・・・それも豪雪地帯のような大雪が…。生まれて数十年・・・足首ぐらいまで積もることはありましたが、車を覆い隠す、車庫の屋根を押し潰すほどの積雪は初めてでした。
その影響で本店の一部が崩落してしまい、修繕を余儀なくされました。観光客を主な収入源としていた本店はオフシーズンなことも重なり、経営は著しく悪化していきました。シーズンインをしても経営状況が上向く気配はありませんでした。
そんなある日、店長さんから「来月から給料を払うことが出来なくなるかもしれない。新しい仕事先を探してくれないか?」と言われ、実質のリストラを宣告をされました。
再就職先はブラックに近いグレー会社。毎日12時間労働と休日出勤の山・・・初の自己都合退職

100万円の借金を背負ったまま新しい就職先を探す日々を送っていました。
パチスロに行きたくても軍資金がなく、親のスネをひたすらにかじりながら生きていました。
そして見つけた新たな就職先は、初就職先とは違った電子部品を製造する会社でした。
朝勤・夜勤が1週間毎に切り替わる勤務形態で、残業は毎日3時間必ず行い、生産量によっては休日出勤もありました。日々の就業時間は12時間。休日出勤も多い時は月3回ほどでした。
肉体的にきつい労働環境でしたが、給料には計上されるので我慢もできました。が、どうにも我慢できないことがありました。それは・・・【上司のパワハラと人間関係】でした。
上司の一人である課長(仮)さんは激情家で、少しでも自分が気に入らない事があると怒鳴り散らす方でした。主任や班長を呼び出しては1時間も2時間も怒鳴り、文句を言い続ける。作業現場に入ってきては気に入らないことを見つけて怒鳴る、文句を言う…そんな毎日でした。
そして、それに輪をかけて酷かったのが、一緒に働いている従業員でした。
何も言わず何日も休む人。
明らかにサボっている人。
自分のミスを他人のせいにして、上司に訴える人。
何か成果が出ると自分のおかげだという人などなど・・・
「本当に社会人なのか?」と疑ってしまうような人達がいました。
同僚の話によると「この会社は毎年何人も辞めては直ぐに人が入ってくる出入りの激しい会社だよ」という労働環境がブラックに近い会社だと分かりました。
それでも給料が残業代など含めて手取りで20万円ほどになるので、我慢して勤めていました。
ですが、その給料にも影が差すようになっていきました。
月々の生産量が減り始めたのです。原因は「会社で製造している部品の品質の悪化」でした。人の出入りが激しい為、技術や知識を持った人が辞め始め、それまでの品質を維持できなくなっていったのです。
その影響が出始めた頃、勤務形態が変更されました。今まで3時間残業が義務付けられていましたが、班員の出勤時間をずらすことで残業させる人数を縮小させ、生産量減少の為に休日出勤がなくなり、最終的にはボーナスの半分以上がカットされる事態となりました。
「このままこの会社に勤め続けても大丈夫なのか?」と危機感を持ち始めた私は、転職先を探すようになりました。
この頃にはパチスロは殆ど打っていませんでした。仕事の忙しさもありましたが、何よりも借金を返済してから打ち始めようと考えていたからです。
そうして、今よりも将来的に安定してそうな転職先を見つけ、人生初の自己都合退職をしました。
再就職できるも少ない給料、増える借金・・・そんな時に訪れた人生を変革させた出会い

3回目の転職・・・年齢的にもこれ以上の転職は厳しい為、この会社で定年まで働くと決め勤め始めました。
新たな就職先は、またもや電子部品を製造する会社ですが、世界規模で会社経営をしている為、今までで一番安定感のある職場でした。
ただし、給料は激減しました。勤務形態は朝勤のみ。残業も殆どなく、交代手当などもなくなり、また中途採用な為、基本給も低く、手取りで13万円ほどでした。3か月の試用期間もあったので、その期間中は更に給料は減っていました。
その為、毎月の保険料などの諸経費や返済しきれていない借金の代金などで給料が殆どなくなり、折角返済してきたキャッシングローンなどが増え始めていきました。
「このままでは死ぬしかない…」と思い始めてきた私は一発逆転の手段として、パチスロを再び打ち始めることにしました。
「借金を完済してから始めよう、と考えていたのに完済できる目途が立たないからせめて自分の小遣いをパチスロで増やそう!」などとあまりにも短絡的で甘い考えだったと、今では反省しています。
打ち始める前にパチスロの攻略サイトやブログを見て、「こういう台を狙いましょう」とか「こういう傾向があるホールが狙い目です」などの情報を見て、「よし!こうやって調べて勉強したんだから、これからは勝てるな」と思い込み打ち始めた結果、借金は減るどころか増え続けていきました。
とうとう消費者金融にまで借りる始末・・・借金は、またもや100万円に、いえ、それを超えていきました。
「どうして勝てないんだろう?運がないからか?」と考えて、運気が向上するブレスレットやペンダント、カードなどを買い、身に着けて打ちに行き、負けて帰る…本当にどうしようもない日々を送っていました。

精神的に荒んでいく中、とあるスロプロのブログを見つけました。
それは、「パチスロ初心者を対象としたパチスロでの勝ち方を教示するブログ」でした。
似たようなブログは読んできましたが、何故かそのブログには興味がそそられました。メールアドレスを登録して、無料配布物を受け取り読み進め、「本当に勝ちたい方は有料教材を買いましょう」的な段階になりました。
最初は「結局こういうのを売りつける詐欺商法なんだろう」と思い買うつもりはありませんでした。
しかし、「今の状況から、どうしても抜け出したい。パチスロで勝ちたい!」という思いは日々強くなるばかり。藁にもすがる思いで、決して安くない教材を購入することにしました。
決め手は「今なら、成果が出なければ全額返金します」という売り文句でした。
それから送られてきた教材を使っての勉強やスロプロ本人からの直接指導を受けるなどを積み重ねていき、日々の実践に反映させていきました。
すると、不思議と勝てる割合が増えていきました。
もちろん、日単位では負ける場合もあります。ですが、月単位での負けは確実に減っていきました。そうやって勉強と実践を繰り返していく内に、給料に手を付けることなく自分の小遣いを増やしていくことが出来るようになりました。
こうした積み重ねを続けていく内に、パチスロによる副収入は増えていき、年間で100万円を稼げるようになっていきました。
膨れ上がった借金の返済は2000年代に入ってからですが、完済することが出来ました!
このようにスロプロではない私でも、ちゃんとした知識、技術、情報を学び、駆使して、実践していけば勝ちを重ねることができ、稼げるようになります。
この事が少しでも読んでいただいた方に伝わっていれば、幸いです。